金光教の教えに、
「神の広前を勤める者は、神の守り、神の前立ちである。神のお手代わりである」
というお言葉があります。

これは、教師が偉いという意味ではありません。
むしろその反対で、「自分の思いで動いてはならない立場に立たせていただいている」という、
とても重い、そして恐れ多いお言葉だと、私は受けとめています。

神様のお手代わりというのは、
神様の心を“自分のものにする”ことではなく、
神様のお心が、皆さんに届くための通り道を勤めさせていただくこと、と受け止めています。

ですから私は、何かを「教える人」というより、
皆さんと同じように、
神様の前に立たせていただき、
神様のお働きを一緒に受けさせていただく者でありたいと願っています。

足りないところの多い身ですが、
それでも神様が「ここに立て」と言ってくださる間は、
皆さんの願いを神様におつなぎし、
神様のお心を、できるだけ濁さずにお伝えできるよう、
心を磨きながら勤めさせていただきたいと思っています。


教会はオープンです。

誰でもいつでも入れます。
「来るもの拒まず去る者追わず」はもちろんのこと、
来た人に義務を課したり縛り付けることはしません。
去る人にも寛容の姿勢で臨みます。
10年遠のいていた人でも笑顔で迎えています。「来るもの“追わず”去る者“拒まず”」の精神です。

宗教とお金の問題を耳にしますが、
いうまでもなく、お供えは強いられるものではなく、
させていただくそのことが喜びの現われであるべきものです。
教会が今日あるのは、
このことを、歴代教会長そしてその家族が
まず自分自身の生活の中で味わい、
喜びをもって奉仕させていただく姿を通して、皆様にお伝えしてきたからだと思います。