「何なりと言うて滑っておってくれ」

教祖が、ある信奉者にかけられた言葉です。

人々がおかげを受け、
道が次第に広がってゆく一方で、
それを快く思わない人も現れました。

神前を荒らされたり、
警察に訴えられたりすることまでありました。

そんな中で教祖は、何を言われても
「滑っておってくれ」と言われました。

「ここには神も考えのあることじゃから」と。

私たちは、
いつの間にか踏ん張ることを覚えます。

間違わないように。
負けないように。
傷つかないように。

誤解されれば分かってもらおうとし、
理不尽なことがあれば正そうとする。

それは決して悪いことではありません。

けれど、人生には、
踏ん張るほど
身動きがとれなくなる時があります。

そんな時は、滑る(辷る)。

逃げるのではありません。
流されるのでも、投げ出すのでもない。

自分の力だけですべてを決着させようとせず、
少し身をゆるめて、やって来たものを受け、
過ぎてゆくものを送る。

そして、自分もまた先へ進んでゆく。

世の中は、自分の思いどおりにはなりません。
けれど、思いどおりにならなければ
生きてゆけない世界でもないはずです。

天地は今日も動いています。
私たちも、その大きな働きの中に生きています。

だから、何もかも自分で背負わなくていい。
何もかも自分で正さなくていい。

踏ん張ることばかり覚えてきた私たちが、
辷ることを覚える。

Learn to glide.

時代を、しなやかに辷りきるひとつの智慧。