ナフサ不足と神様のお働き
先日、ナフサ不足についての記者会見が話題になっていました。
ナフサというのは、プラスチックなどの石油化学製品を作るための原料です。
ある記者が、
「ナフサが不足しているのなら、不足していると言えばいいじゃないですか」
という趣旨の質問をしました。
すると大臣は、
「そんな単純な話ではない」
と説明されました。
なぜなら、原油からはナフサだけを作ることができないからです。
原油を精製すると、ガソリンも灯油も軽油もナフサも一緒にできます。
ナフサを増やそうとすれば他の製品も増える。
逆に製油所の稼働が下がればナフサも減る。
さらに在庫や輸入、市場全体の動きも関係します。
つまり、一部分だけを見て「こうすればいい」と言える世界ではないのです。
私はそのやり取りを見ながら、
「ああ、信心も同じだな」
と思いました。
私たちは困ったことが起こると、
「お金のおかげをください」
「病気を治してください」
「あの人との問題を解決してください」
と願います。
もちろん、それは大切な願いです。
しかし私たちは、どうしても目の前の一点しか見えなくなることがあります。
お金しか見えない。
病気しか見えない。
人間関係しか見えない。
ところが神様は違います。
神様はその人の人生全体をご覧になっています。
家庭も仕事も健康も人間関係も、そしてこれから先のことまでもご存じです。
教祖様は、
「神様は、よいこともわるいことも、みな鏡に現れるようにご承知である」
と教えてくださっています。
私たちは
「自分のことは自分が一番知っている」
と思いがちですが、本当にそうでしょうか。
後になって、
「あの失敗があったから今がある」
と思うことがあります。
その時は不幸だと思った出来事が、振り返れば大きなおかげだったということもあります。
神様はそうした先々まで見ておられる。
だから願った通りにならないことがあります。
しかしそれは、おかげが足りないからでも、神様に見放されたからでもありません。
全体を見て働いてくださっているからです。
そして確かなことは、
神様のおかげは不足していない
ということです。
空気もある。
太陽の光もある。
水もある。
私たちは今日も呼吸をし、命をいただいています。
天地のおかげは、すでに満ちています。
不足しているのではありません。
ただ、そのおかげには順序と調和があります。
原油からナフサだけを無限に取り出せないように、
神様のお働きも、
「お金だけ」
「健康だけ」
「成功だけ」
というわけにはいかないのでしょう。
もし今、大金が入ることが本当にためになるのか。
もし今すぐ病気が治ることが人生全体のためになるのか。
もし願い通りになった後、私はどうなるのか。
神様はそこまでご存じです。
だから私たちは願いながらも、神様のお働きを信頼して待つことを教えていただくのです。
教祖様は、
「人間は先のことはわからない」
と仰いました。
本当にその通りだと思います。
私たちは目の前を見ています。
神様は全体をご覧になっています。
私たちは今日を見ています。
神様は明日も十年後も見ておられます。
だから願いが叶うことだけがおかげではありません。
待たされることもおかげ。
思い通りにならないこともおかげ。
別の道が開かれることもおかげ。
そういう見方ができるようになると、信心はずいぶん楽になります。
教祖様は、
「世の中には見聞きをさしてある。氏子、見方が違うておるから、役者が顔を染めたり手を振ったり、着たりしている物を見てもどっては、おかげが受けられぬぞ」
と仰っています。
世の中の出来事も、ただ出来事として見るだけでなく、そこに込められた道理や真理を学ぶことができます。
私は普段、意図的に時事問題とは少し距離を置いています。
それでも今回の出来事を通して、
神様はこんなところにも見聞きをさせてくださるのだなと思いました。
今回のナフサ不足の話から教えられたことは、
目先の不足だけに心を奪われるのではなく、
天地に満ちているおかげに目を向け、神様の大きなお働きを信頼して歩ませていただくことです。
問題を解決してもらうことだけを願うのではなく、問題を通して、自分の見方や心を育てていただく。
そこに信心の深みがあるのだと思います。
