手のひらの余韻
日常に信心のひかりをあてる小品集。
vol.3
履修届
祖父はよく言った。
「あんたの言うことは世間ではそれでもよい。しかし信心ではそれではいけない。」
すると信者さんはむっとして帰っていくことがあった。
その後ろを祖母が追いかける。
「先生はこういうつもりで言われたのですよ。」
子どもだった私は、その様子を少し離れたところから見ていた。
祖父の言葉も分かる気がした。
祖母の気持ちも分かる気がした。
父や母は、その間で気を揉んでいた。
私はその全てを眺めていた。
長い間、それぞれ別々の記憶だと思っていた。
ところが最近になって気づく。
私は今も、あの続きを生きているのだ。
厳しく伝えなければならない時がある。
寄り添わなければならない時がある。
どう伝えればよいのか迷うこともある。
その度に、祖父が語り、祖母が語り、父母が語る。
私は一人で御用をしているつもりだった。
けれど本当は違った。
今はいない人たちと共に御用をしていたのである。
教祖様は、
「人間は、生まれるときに証文を書いてきているようなものである。」
と教えておられる。
若い頃、この「証文」という言葉が好きではなかった。
何か重たい契約のように聞こえたからである。
けれど歳を重ねるにつれ、少し違う景色が見えるようになった。
もしかすると、その証文は履修届だったのではないか。
そんな気がするのである。
この世は学校。
人は生まれる前に、それぞれ学ぶ科目を選んでくる。
親子という科目。
夫婦という科目。
別れという科目。
感謝という科目。
できれば避けたい授業ほど、なぜか必修になっている。
私はどんな履修届を書いてきたのだろう。
そう考えるようになったのは、自分の未熟さに出会うことが増えたからである。
人のことはよく見える。
けれど、いざ自分のこととなると見えなくなる。
信心とは何だろう。
教えを知ることだろうか。
ありがたい話ができることだろうか。
そうではないように思う。
信心とは、相手の立場を思える人になることではないか。
そう思った途端、その問いは自分自身へ向かってきた。
私は本当に相手の立場を思えていただろうか。
胸を張って「はい」とは言えなかった。
だから今も学んでいる。
同じところでつまずきながら。
分かったつもりになりながら。
また振り出しへ戻りながら。
時々、これは留年ではないかと思うこともある。
けれど最近は考え方が変わった。
留年ではない。
履修期間が長いだけなのだ。
神様は卒業を急がれない。
ただ、その授業から逃げずにいるかを見ておられる。
そうであるなら、この学びも悪くない。
祖父と祖母と父母と。
そして今を共に生きる人たちと。
同じ教室で学ばせていただいているのだから。
vol.2
未知への入り口
夜、居間でひとり、スマートフォンを握っていた。
エンターキーの上を、親指が行ったり来たりする。
画面には、
「二十年後の姿を生成します」
と表示されている。
孫が二十年後、どんな顔になるのだろう。
ただ、それだけだった。
ほんの遊び半分の好奇心にすぎない。
それなのに、押す前になると妙なためらいが生まれた。
まだ見てはいけないものを、少しだけ先回りして覗き込むような感覚。
指先は、禁じられた扉に触れる時のように、わずかに緊張していた。
数秒後、画面に若い女性が現れた。
驚くほど整った顔立ちだった。
芸能人の宣材写真のように、光の当たり方まで完成されている。
けれど、目だけは、たしかに孫だった。
私は可笑しくなって、妻に画面を見せた。
案の定、呆れたような顔をされた。
「やめて、そんなこと。ちょっと怖い」
たぶん、そう言うだろうと思っていた。
けれど私は、叱られながら、どこかほっとしている自分にも気づいていた。
人間には、まだ越えてはいけない境界線が残っている――。
そんな気がしたのだ。
人間は昔から、未来を知りたがってきた。
占いも、暦も、夢のお告げも、みなそうだった。
ただ今は、その役目を、神秘ではなく機械が引き受け始めているのかもしれない。
けれど人間というのは、そういう境界線を、少しずつ越えながら生きてきたのかもしれない。
思い返せば、私にもそんな記憶がある。
思春期の頃、流行歌の中には、どこか“大人の世界”の匂いがあった。
山口百恵の歌に妙な胸騒ぎを覚えたのも、たぶんその頃だった。
ピンク・レディーの振付を見た時も、「こんなものを子どもが見ていいのだろうか」と、少し戸惑った記憶がある。
いま思えば可愛いものだが、当時はそれでも十分に“未知”だったのである。
ところが今では、もっと刺激的なダンスを、小学生が当たり前のように踊っている。
時代というのは、昨日までの驚きを、あっけなく日常へ変えてしまう。
そういえば、インターネットが現れた頃もそうだった。
まだブロードバンドではない。
接続するたび、モデムが「ピ〜……ガガッ……」と、不穏な音を立てた。
友人に勧められて初めてネットにつないだ夜、私は妙に怖かった。
無免許で都会の高速道路へ入るような、あるいは、小さな小舟で夜の海へ漕ぎ出すような心細さがあった。
「こんなこと、本当にしていいんだろうか」
世界のどこかと突然つながってしまう感覚。
それは便利さより先に、畏れに近いものを伴っていた。
だが今では、お年寄りも子どもも、スマートフォン片手に、いつでも世界へ接続している。
買い物も、映画も、銀行も、人付き合いも、みんなそこへ入ってしまった。
機械ものに疎い妻でさえ、ごく自然にお気に入りのユーチューバーの動画を眺めている。
それほど現実世界と仮想空間が地続きになった今、あの頃私が感じた“恐怖”を話しても、たぶん実感は湧かないだろう。
人間とは、そうやって未知を飼い慣らしていく。
空を飛ぶこともそうだった。
手術も、人工と名の付くものすべてが、最初はそうだったに違いない。
最初はみな、「そんなことをしてよいのか」と震えながら近づいたのである。
そんなことを考えているうちに、私はふと教祖のことを思った。
教祖の金神信仰も、きっと同じだったのではないか。
「逃げとけ、避けとけ、回っとけ」
そう恐れられていた金神を、正面から拝む。
それは単なる信仰ではなく、人々にとっては、《禁じられた境界》を越えることだったに違いない。
だからこそ、そこには大きな感動があった。
いま、「金光教はこんなに穏やかで常識的なのに、なぜ人が来ないのでしょう」と言う人がいる。
けれど私は、内心こう思っている。
――だからなのだ、と。
本当に新しいものには、最初、少し怖さがある。
信仰にも、もともとはそういう震えがあった。
そして今、歳を重ねた私は、別の恐怖を持ち始めている。
「死」である。
若い頃は、死は遠い言葉だった。
しかし最近は、ときどき妙に現実味を帯びて近づいてくる。
夜中にふと目が覚めた時。
近しい人の訃報に触れた時。
そのたびに私は、自分が少しずつ、未知の入口の近くへ来ていることを感じる。
けれど考えてみれば、死ほど未知のものはない。
誰も完全には説明できない。
人は死ぬ時、最後の未知へ飛び込む。
そう思った時、私は、あのAIの生成ボタンを押した瞬間を思い出す。
怖かった。
だが同時に、どこかワクワクしていた。
信心というのは、その未知への恐れを、天地への信頼へ変えていく営みなのかもしれない。
死は、暗闇ではなく、まだ見ぬ世界への入口。
その時私は、怯えながらではなく、
「ああ、次はこういう世界か」
と、少し微笑みながら入っていける人間でありたいのである。
vol.1
影
影のできない人はいない。
そんな当たり前のことを、ある日ふと思った。
道を歩いていても、洗濯物を干していても、夕方の玄関先でも、影は黙って足元についてくる。こちらが忘れていても、向こうはきちんとそこにいる。
影を見ると、不思議と安心する。
ああ、自分は照らされているのだ、と気づくからかもしれない。
金光大神は、
「おかげとは、めいめいの真に映る影のこと」
と教えられた。
影は、形に添う。
それはとても静かで、容赦のないことだ。
どれほど立派な影を望んでも、もとの姿をごまかすことはできない。
背を丸めれば、丸い影になる。
手を広げれば、影もまた広がる。
大きなおかげをいただきたいなら、大きな真を向けてみよ、と仰る。
けれど「大きな真」とは、何か壮大な決意のことではない気がする。
たとえば、湯のみを両手で受け取ること。
名前を呼ばれた時、きちんと返事をすること。
疲れている人に、少し椅子を寄せること。
そういう小さな真心が、人の輪郭を少しずつ整えていく。
すると、影もまた変わっていく。
影ばかり追いかけていると、苦しくなる。
でも、照らされていることを忘れなければ、影は自然に生まれる。
夕暮れの道で長く伸びた自分の影を見ると、
神様のおかげというものは、案外こういうふうに、黙って地面に映っているのかもしれない、と思う。
