大きい信心

「信心は大きい信心がよい」と教えられます。
けれど、大きい信心というのは、
難しい願いをたくさんすることでも、
立派に信心することでもないように思います。

私たちはつい、
「ここまでは神様にお願いできるけれど、
 これは無理だろう」
そんなふうに、神様の働きを小さく考えてしまうことがあります。
それは、自分の思いの中に、神様を収めてしまっている姿かもしれません。

大きい信心とは、
わからないことがあっても、
思いどおりにならないことがあっても、
それでも神様に向かい続ける心ではないでしょうか。
「お任せします」と、神様を大きくいただくことだと思います。

また、大きい信心は、
自分ひとりの助かりで終わりません。
この身の上を通して、
家族が、人が、少しでも助かる道はないか。
わが身、わが一家を、
神様のお働きの通り道として差し出していく。
そこに信心の広がりがあります。

願いがかなった時も、神様に向かう。
かなわなかった時も、神様から離れない。
結果よりも、神様とのご縁を大切にする信心。
それが「大きい信心」なのだと思います。

信心を大きくするとは、
自分が頑張って大きくなることではありません。
神様を、神様として、
そのまま大きくいただくこと。
今日もその心で、歩ませていただきたいものです。
正月が過ぎ、静かになると、
「今年は大丈夫だろうか」と
神様を小さくしてしまう自分がいます。
けれどそのたびに、
「ああ、この教えは、
そんな私を励ますためにあるのだな」と
思わせていただきます。

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