元日祭挨拶
新年あけましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。……
令和八年、立教百六十七年。
当教会は、開教百十九年を迎えました。
今日は、年の初めにあたり、
私が心の底で感じていることを、
飾らず、包まず、お話しいたします。……
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「燈燈無尽(とうとうむじん)」——。
炎が炎をつぎ、またつぎ足されて、尽きることがない、という意味の言葉です。
今日ここにお越しくださったのは、
ご先祖が大切に守りつづけてきた“見えない火”が、
いまもあなたを導いてくださったからです。……
けれど率直に申し上げます。
その火は、少し弱っているかもしれません。
炎はあっても、
それを支える蝋燭(ろうそく)が細く、短くなっている。
あなたの家の蝋燭も、
この教会の蝋燭も、同じです。……
蝋燭が尽きれば、炎は消えてしまう。
「先の世までも持っていかれ、子孫までも残るのは神徳である」
炎は酸素ある限りいつまでも燃え続けるでしょう。
でも蝋燭の炎は蝋燭が尽きれば消えます。
だからこそ——
蝋燭を守り、太くしていくことが大切なのです。
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まだ——ここには炎があります。
それは、あなたが今日ここに来てくださったからです。……
ただ、それが細く弱くなっていると申しました。
蝋燭が細くなると、火は揺らぎ、弱っていきます。
火が悪いのではない。
火皿が汚れたり、まわりの空気が乱れたりすると、
実際に炎が落ち着かなくなるのです。
心も同じです。
炎をよくみれば、一つの炎の中には
青い炎と赤い炎、があることがわかります。
青い炎は、芯の根元にある静かで揺れない中心の火。
これは、どんな時も尽きることのない
神徳の炎のようなものです。
そして赤い炎は、周りの空気や心の状態によって
伸びたり揺れたり弱ったりする火。
こちらは、私たちの祈りや姿勢にあらわれる火です。
つまり——
揺れて見えるのは赤い部分であって、
中心の青い炎は、変わらない。
神徳は、静かに確かに、燃え続けています。
ですから、火が弱ったように感じるときに私たちがとるべき行動は、
その揺れではなく、中心の青い炎に心を合わせることです。
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時代が変わり、家族の形も変わり、
人の心の向きも変わっていきます。
教会の姿も、昔とまったく同じにはいられないでしょう。
しかし——
中心の青い炎(神徳)まで消してよいわけがありません。
ここだけは、時代がどう変わっても、変えてはならない。
教祖金光大神は、こう願われました。
「たとえこの身は八つ裂きにあい、さらし者にされても、
屋敷跡に青草が生えることになっても、少しもかまわない。
ただ、生神金光大神と世界の人々が真心で願えば、
どのようなことでもかなえてくださいませ」
教祖が命をかけて守られたのは、
この 中心の青い炎 のことです。
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そして教祖は、
こんな思いを、静かに語っておられます。
「人間がおかげを受けてくれなければ、
神も金光大神もうれしくない。」
この言葉は、
「もっと願いなさい」という言葉ではありません。
むしろ——
「そんなに遠慮しなくてもいいのだよ」
という、
神様からの声のように、私は受け取っています。
私たちは、ときどき思います。
「自分より、もっと大変な人がいる」
「これくらいでお願いしてはいけない」
「まだ我慢できる」
けれど教祖は、続けてこうも言われました。
「人間がおかげを受けないで苦しんでいるようでは、
神の役目が立たない。」
苦しみ続けることが、
信心の証しではありません。
神様は、
あなたが立ち行く姿を見たい のです。
あなたの暮らしが、
少し落ち着くこと。
あなたの心が、
ほんの少し軽くなること。
それがそのまま、
神様と金光大神の喜びになります。
ですから——
うまく言葉にできなくてもかまいません。
立派な願いでなくても、かまいません。
「どうしたらいいかわからない」
そのままで、
青い炎のほうへ、心を向けてください。
あなたが立ち行けば、
神様も、金光大神も、立ち行く。
教祖がそう教えてくださったのは、
人は、神様の重荷ではない
ということなのだと思います。
日常の、何気ないふるまいの中で——
あなたが受けたその小さなおかげが、
誰かの赤い炎を、
そっと支えることがあります。
炎は一つ。
その炎を、ついでいく役目を、
どうかあなたも、
無理のないところから担ってください。
いま必要なのは、
私自身もこの願いに心を重ねること。
そしてあなたにも、
小さな灯(ともしび)となっていただくことです。
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親みたいに熱心にはとてもできないなぁという方もいれば、
親のあれが信心ならそんなの継ぎたくもない
という方もいるでしょう。
そんなことはあなたになんの関係もありません。
信心は継承するものではなく、更新するものだからです。
「私が、この家の灯をつぐ。」
立派であろうとすることはありません。
完璧でなくてもよいのです。
今日ここへお参りした——
それだけで、
あなたの家の中心の青い炎(神徳)は、
もうすでに息を吹き返しています。
これからの一年、もし「おかげの火が弱った」と感じるときがきたら、
どうかいつでも戻ってきてください。
私は、教会がある限り、
何度でもあなたの火を灯し直します。
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皆さまお一人おひとりが、
どうか“小さな燈火”となってくださいますように。
時代が変わっても、
信心の炎だけは、どうか絶やさないでください。
あなたが灯れば、
その火は子へ、孫へ、友へ、
そしてまだ見ぬ人へと広がっていきます。
燈燈無尽。
炎から炎へ。
心から心へ。
この道が未来へ伸びてゆくための炎が、
今日あなたにもそっと灯っています。
これからも、どうぞ共に燈してまいりましょう。
――以上をもって、
令和八年、元日の言葉といたします。
