「土壌が先」月始祈願祭教話

今日から七月、令和八年下半期の始まりです。

皆さんもこの半年を振り返りながら、お参りをされたことと思います。

思い通りになったこともあれば、そうでなかったこともあったでしょう。

けれど、その一つひとつが今日の自分につながっているのだと思います。

さて、先日、サッカーのワールドカップで日本代表が敗れました。

残念な結果ではありましたが、多くの人が口にしたのは、

「負けたけれど、日本は強くなったな」

という言葉でした。

私はその言葉を聞きながら、なぜそう感じるのだろうと考えていました。

昔、日本がワールドカップに出ること自体が夢だった時代がありました。

ところが今は、優勝候補の国と戦っても、ある程度渡り合えるところまで来ています。

もちろん選手たちの努力もあります。

しかし、それだけではないと思うのです。

本当に強くなったのは、日本サッカーという土壌そのものではないでしょうか。

子どもたちがボールを蹴り、

親が応援し、

学校でサッカーの話をし、

テレビで試合を見て語り合う。

そうした積み重ねの中で、日本サッカー全体が育ってきたのだと思います。

野球も同じでしょう。

今や世界的な選手として活躍している大谷翔平選手も、突然現れたわけではありません。

長年にわたって野球が親しまれ、語られ、多くの人に支えられてきた土壌の中から生まれてきたのです。

天才が先ではありません。

土壌が先なのです。

そして私は、このことは信心にも通じるように思うのです。

家の助かりとは何でしょうか。

家族みんなが病気をしないこと。

お金に困らないこと。

もちろんそれもありがたいことです。

けれど、それだけではないように思います。

本当の意味での家の助かりとは、

家の中で神様の話ができることではないでしょうか。

おかげを喜び合えることではないでしょうか。

困った時に神様を思い出せることではないでしょうか。

信心の話をしても誰も嫌な顔をせず、

「ああ、そうだな」と聞き合える。

そんな空気が家の中にある。

それは実は、とても尊いことだと思うのです。

教会長が一人で信心する。

親が一人で信心する。

それもよいでしょう。

けれど、本当に家が助かっていく時には、その信心が家の空気になっていくのではないでしょうか。

家族の誰かが苦しい時、

「神様にお願いしてみようか」

という言葉が自然に出てくる。

何かありがたいことがあった時、

「おかげをいただいたね」

と喜び合える。

そんな土壌が育っている。

私は、それこそが家の徳だと思うのです。

そして今日は月の霊祭でもあります。

ここで改めて思うのです。

そうした土壌は、一代でできるものではないということを。

選手は入れ替わります。

それでも日本代表は続いていきます。

人も世代交代します。

それでも家や信心は続いていきます。

親がいて、

祖父母がいて、

そのまた前のご先祖がいて、

今日の私たちがあります。

私たちが当たり前のようにお参りできることも、

神様の話ができることも、

ご霊神様方が長い年月をかけて耕してくださった土壌があるからです。

苦しい時代もあったでしょう。

思うようにならないこともあったでしょう。

それでも信心を手放さず、

神様を忘れず、

子や孫へと願いをつないでくださった。

そのおかげで、今の私たちがあります。

選手は入れ替わる。

それでも日本代表は続いていく。

人も世代交代する。

それでも家や信心は続いていく。

日本代表がそうであるように、家もまた一代ではできません。

ご霊神様方が積み重ねてくださった徳の上に、今の私たちがあります。

そして私たちは、その続きを生かしていただいているのです。

今日から下半期です。

この先、どんな出来事が待っているかは分かりません。

けれど、

家の中にどれだけ感謝の言葉を増やせるか。

どれだけ神様のお話ができる空気を育てられるか。

どれだけ信心の土壌を耕せるか。

そのことを大切にして歩ませていただきたいと思います。

その積み重ねが、いつの日か家の力となり、次の世代への贈り物となっていくことでしょう。

ご霊神様方への感謝を申し上げながら、新しい月、新しい半年を出発させていただきたいと思います。

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