「神から出る日給」

「人から出る日給はわかっても、
神から出る日給はわかるまい」

と、金光教教祖は語っておられます。

私たちは、
日給、時給、月給といった言葉には、
とても敏感です。

働いた分、いくらもらえるのか。
これは生活に直結しますから、
誰にとっても分かりやすいものです。

けれど教祖は、
神から出る日給は、わかるまい
とおっしゃいます。

それは、
神様のおかげが、
私たちの計算の中に収まるものではないからです。


私たちは毎日、
空気を吸い、
太陽の光を浴びています。

これらはすべて、
無料で、
当たり前のように頂いています。

ではもし、
この空気や太陽の光を、
人間が人工的につくり、
24時間、世界中に供給しようとしたらどうでしょうか。

必要な設備、
エネルギー、
維持費――
想像するだけで、
天文学的な数字になります。

それを維持していくためには、
とんでもない負担がかかることでしょう。

けれど私たちは、
その莫大なおかげを、
一円も払わず、
願わずとも、
毎日頂いているのです。


人から出る日給は、
生活の一部を支えます。

しかし、
神から出る日給は、
生活そのものの土台です。

今日も息ができる。
身体が自然に働いている。
天地が変わらず保たれている。

これこそが、
神様からの「日給」なのだと、
私は思います。


教祖は、
この神様の「日給」を
数えて分かれ、と
おっしゃっているのではありません。

むしろ、
すでに頂いていることに、
気づいているか

と、私たちに問いかけておられるのではないでしょうか。


信心とは、
神様にご利益を求めることではなく、
すでに頂いているおかげに、
気づき直していく歩みです。

そのことから、
神様との関係が、
ぐっと近くなっていきます。


今日という一日は、
すでに支給済みのおかげである――

そのことを心に留めながら、
起きてくる一つひとつのことを、
神様のお働きとして受け止め、
一日を大切に過ごさせていただきたいと思います。

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