沿革
①布教当初の様子
当教会初代は、教会の初代ではあるが、信心は二代目である。信心は父である大津教会初代に始まっている。
当教会初代は、父が入信し、さらに進んで単身布教に出られた当時すでに十八歳と、当時の成人に達していたため足袋職人として働いていた。やがて結婚し、子供も生まれたが「人を助けてわれも助かる道」という父の強い信念と母の祈りに促され、お道のご用に身を捧げることになり、妻子ある身で、教義考究所(現学院)に入所、教会修行、数か所での開拓布教ののち、明治四十年十二月、阿山郡柘植村での開教に至った。そういう次第で、当教会の初代の入信と布教は、いわゆる大病難病その他難儀を助けられたお礼といったあり方とは違う。
初代の布教のすがたは、静かで地味な結界奉仕一筋のものであったようだ。初代は日記を丹念につけていたらしいが、それも昭和二十年の空襲で焼失し、教話集とか自伝の類はまったく残っていない。
②教会の沿革
伊勢市は、日本の総氏神であり、皇室の祖先である天照大皇大神鎮座の地という特性があり、昭和二十年迄の布教は厳しいものがあったようだ。信教自由の現在でも、この特性は基本的に変わらず、布教がめざましく展開するといったことはなかった。その中で、地味なあり方の布教がよくぞここ迄続けられてきたと思われる。
③教会として大切にしている内容
①で述べたように、初代については、何の資料もないが、二代については多少あり、『遺教集』としてまとめられている。その中で繰り返し語られ、書かれていることは、「我情我欲を離れて真実の生き方を」「表のおかげ裏のおかげ」「神は氏子かわいいと思うておられその他にはなにもない。氏子の上に無駄事は決してなされない」ということに尽きる。
二代教会長からしばしば聞いたことば
〝初代の苦労、初代の苦労と言われるが、二代にも、三代、四代にも夫々に初代にない苦労がある。大切なことは、その苦労をしっかり受け止め、取り組み、おかげにさせていただき、お道の生命がどこまでも継続し展開していくことである。〟
