柏手考
「柏手」を打つ時、どんな思いでみなさんは手を叩くのであろうか。
お道では一礼、四拍手、一礼の作法となっている。地元伊勢神宮はじめ神社では二礼、二拍手、一礼で頭を下げそれで終わりである。方便の願い捨てといえばそうかもしれないが、お道の場合、願いこみや、拝詞を称え、それが終わると再び一礼、四拍手、一礼となる。よくいえば神様との交流があるといえなくもないが、たぶんに始めの柏手は「神様来てください」後の柏手は「神様お引き取り下さい」といった感じでお詣りというものをとらえておられるのではないかと思う。見方を変えると都合の良いときだけ神様い出現われませ。お願いを済ませ、用がすんだら、はいどうぞお戻りください。あとは自分勝手に暮らします。というように、日常と神参りに隔たりがあるというのが、一般の日本人のふつうの宗教感覚なようにも思う。
帰りを急ぐ人は「パチパチパチパチ、パチパチパチパチ」聞いていて忙しない。よほど忙しいのであろうか。加えて以前は神殿と霊殿にわかれていたので、それがいまでも身体に沁みついていて、向きを変えて再度柏手を打たれる方も散見する。べつに心さえ入っていれば、私は作法はそれほど気にしない。なので現在の一社まつりという様式に変わってからも、特段どなたにも強制はしない。
伊勢教会では現会堂になって以来、拝詞を称える時は最初に四拍手~神前拝詞から順に唱え、霊前拝詞まで一気に唱え、最後に柏手を打っていた。つまり最初と最後の二回ということである。しかし一昨年の令和4年に父である先代教会長が亡くなり、昨年令和5年に母が亡くなってから、転機が訪れた。合祀までの間、新霊床として神前右手の御結界横にみたまをお祀りしている間、新霊神拝詞を称えるために必要上、一礼、四拍手、一礼の作法が拝詞の前後に入ることとなった。合祀後はその流れで金光大神賛仰詞のあとに一礼、四拍手、一礼を挟み、霊前拝詞を称えるようにしないと落ち着かない感じになった。つまり最初と、中と、最後の都合三回、柏手を打たせてもらうようになったのである。
ちなみに、大阪にあるいわゆる金光三校とよばれる高校(金光大阪、金光八尾、金光藤蔭)にも学校広前があり、うち藤蔭高だけが広さの制約もあり一社まつりとなっているが、柏手は旧来のお広前同様に、四拍手、拝詞、四拍手に続き四拍手、拝詞、四拍手、と四回打たれているそうである。いずれにせよ、御参りしている当人以外の外部からみたら、何をしているの分かりにくいかもしれない。
現会堂が建った頃から、私にはある予感があった。それは「建物は建ったけど、魂が入るのは、父たちが亡くなった時なのかもしれぬ」という漠然とした思いではあったが、それは現実のものとなった。
いまでこそ、お参りしたら柏手を打つのはあたりまえかもしれぬが、教祖さまのところではそうではなかったようである。
『金光大神御覚書』の第五章{金乃神下葉の氏子}とよばれる個所に次のようにある。
戌牛(安政五)正月朔日、おもちを持って亀山へ私まいり。早々、弟、金乃神様お供え上げ。御礼、願い申しあげ候。
戌の年は、神の言うとおりしてくれ、そのうえに神と用いてくれ(立ててくれ)、神も喜び。金乃神が、戌の年へ礼に柏手を許してやるからに、神とあったら、他領の氏神と言うな。大社小社なしに、柏手打って一礼いたして通り。金乃神下葉の氏子と申して、日本神々へ届けいたしてやるから、神が受け返答いたすようにしてやる。
戌の年、今までは、だんだん(いろいろと)不時、不仕合わせ、難を受け。これからは、何事も神を一心に頼め。医師、法人(ほうにん)いらぬようにしてやるぞ。ほかの氏子には言わん。妻の産のこと五日か十七日か、お知らせ。
十七日暮れまで野え(野良仕事)いたし、もどり、夜の四つ産いたし。早々お礼まいり。おこの。ありがたしお知らせくだされ。
お神棚改めて、ご信心いたし、朝晩柏手打ってご奉願、日夜のおかげ受け。
戌の年とは文治こと教祖のことですが、世間では悪神邪神と忌み嫌われる金神を「金神様」と立て仰ぎ、日柄方角ばかりみて無礼をしていたことを{四十二歳の大患}をとおして改心されたところから、神のご信用を得て、世間に数多い難儀な氏子を取次助けてやってくれと神のお頼みを受けられるようになり、「私の力にかなうことでしたら、させていただきます」と神様中心の生き方に徹しられることとなった。
そうした文治のあり方に対し、金乃神は「礼」として「柏手」を打つことをお許しになられたことがうかがわれる。
そうしたことを考えると、柏手はめったやたらに、軽々しく打つものではないのだと思わせられる。
そうしてみると、幼いころから神様が身近にあり、あたりまえのように思っていたが、どのような意識で柏手を打っているのか、また打つべきものであるのか、そのことがとても重要な問題となってきた。
試行錯誤の上、いまはこのような思いで柏手を打つようになった。
今現在、私は以下のようなイメージで柏手を打っている。
まず、神前に向かう、「日々ありがとうございます」の思いで、一礼、四拍手、一礼、それによって第一のゲートを潜る。
そして頭を上げると、周囲の景色は変わらないが、私は神界に包まれている。
いろいろ祈念したり唱えながら、奥へ奥へと進んでいくと、ゲートを越えた先に御霊の世界があり、そこに立ち寄らせてもらい、みたまさまに御礼と感謝をする。お願いはしない。
そしてゲートを潜ると私はもといた神殿にもどっているという感じである。
神宮や神社の鳥居をくぐる際に人々が振り返り一礼するように、「ありがとうございました」の一礼、四柏手、一礼。
要は、柏手で神様をお呼び出ししてまたお戻しするような意味ではなく、自分自身が入っていくような心持で柏手を打たせていただくようになった。
もとより、お道は、「神と仲よくするのが信心である」「生活そのものが信心の行」という教えでもあるのだから、そのことが柏手を打つという行為そのものにもそうした神観が繁栄されてしかるべきだと考える。
この柏手に対する意識の変化が、神様と私の関係にどのような影響を及ぼすのだろうか。楽しみである。