無理と思わず

■ 理1・近藤藤守・11

一生死なぬ父母に取りついたと思うて、何事でも無理と思わず、天地の神にすがればよい。

造園業を営むYさんは地味ながら熱心なご信心で、息子さんと娘さんにの名前に教祖様の元の名「川手文治郎」から文と治の一字をつけておられるほどです。これまでも数々のおかげを蒙られています。

つい最近のこと。長年仕事で使っているトラックの荷台部分が壊れてしまいました。まだまだ動くのでどうにか直したいのですが、車屋に行っても古いので部品もないものと思われ、どう修理したらよいものか悩んだ末に、ある鍛冶屋さんに依頼してみることにしました。
しかしその鍛冶屋さんには、これまで車の仕事は一度もしたことがないので…と断られてしまいました。
どうしたものかと思いながら別の案を考えていたYさんでしたが、ふと先生から聞いた「何事も無理と思わず一心に願え」との教えを思い出し、自分でなんとかしようとするのではなく、あらためて神様にお願いしていたところ、なんとすぐにその鍛冶屋さんから電話が入り、その仕事を引き受けてもらえることになったのです。しかも費用も思ったより安くしてもらえました。
思いもよらない問題が生じたとき、まずは自分で何とかしなければとの考えで先に動いてしまうものですが、それだけだとうまく事がすすまないものです。今日偶々ネットで目にした言葉ですが、ある人が「手を抜いた仕事はうまくいかないが、力を抜くと物事はよいほうへ進んでいく」ということを言っておられました。信心もそのとおりだなぁと思います。信心の手を抜くと何をやってもうまくいかない。我が計らいでという力みが抜けると物事はよい方へ進むようになるということです。わか計らいを去って神様に心を向ける。お詫び御礼申して、天地金乃神様にお願いをしてまいりますと、誰に無理を強いることなく、不要な出費をするでもなく、人を通して神心をご発動いただけることをあらためて感じさせられた出来事でした。

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