神の心がわかる信心を
ふだんあまりテレビは見ないほうですが、二つほどハマっているドラマがあります。
その一つが木曜ドラマ「プライベートバンカー」です。
唐沢寿明演じる主人公・庵野甲一は超富裕層の資産管理のスペシャリスト。
橋爪功演じる社長の天宮寺丈洋に依頼され、一族の資産管理を任される
一線を退き実権は副社長の妻・美琴(夏木マリ)が握っている。
子は三人。しかし二人の息子はどちらかというとぼんくら、野心家の長女・沙織(土屋アンナ)が跡目を狙うが母にはまるで認められていない。
そういった家族にありがちな家族の情愛が薄い中で育った愛情をそそがれていなかった、恨みのようなものが、もっとも強いのが彼女。
ついにクーデターを起こすも、失敗する。
そのシーンのやりとりのセリフが物凄い。
《美琴》「私たちがどんな思いで店をやって来たか、想像もしたことないでしょう。人の心がわからない人間に経営は無理よ」
《沙織》「あなたに、人の心を説かれたくない!人を食いものに、人の心がない人間に!」
そこに美琴がピシャリととどめを刺す
「人の心を持っているかどうかと、人の心がわかるかどうかは全くの別!」
ジ・エンド勝負あった。
凄いセリフだなと感じ入ってしまいました。
あぁ、このセリフにたどり着かせるためにこれをみせてくれていたんだな、と思った。
ある意味、謎解きをされているような気がしました。
うちは金持ちではありません。神持ちの家ではありますが…
「人の心」というところを 「神の心」と置き換え、この母娘の対立を 「神と人との関係」に見立てていました。
もしかしたら、いま私もこうして神様のことを皆さんに説いていますが、家族からすれば私に対して、
「あなたに神の心を説かれたくない。神の心がない人に」と思っているかもしれませんが、これもまた
「神の心を持っているかどうかと、神の心がわかるかどうかは全くの別」だということです。
信心は、神の心がわかる人にならせていただくものである。
神様が教祖様に「このような氏子は他にない」となられたのは、そこなのだと。
それが最も端的なのは、「人がよいのと神に信心しておかげを受けるのとは別物」「人のよいのと神への無礼とはまた別物」「人の心にかなわねば神の心にかなわず。神の心にかなわずば人の心にもかなわず」
というところでしょう。
つねに、神様の側で、神の心を知る、知りたいと願う、知ろうと求める
そこのところが信心なのだと思います。
神様仏様のような心を持った人は少なからずいます。けれども、
「昔から、あの人は神様のような人じゃ、仏様のような人じゃ、人に悪いことをせぬ正直者じゃと言われる者でも、だんだん不幸なことが重なったりして、どういうものじゃろうということがあるのも、みな、神に無礼粗末があるからぞ。なんぼう人に悪いことをせぬ正直者でも、信心せねば神には無礼粗末ができるぞ。人のよいのと神への無礼とは、また別ものぞ」
と金光様が言うてござる。信心せねば、なんぼう善人でもおかげにはならぬ。(■ 理3・尋求教語録・105)
とあるとおりです。
神様は親、人間は子、親子の情はどこまでも変わるものではないぞ。親神様は人間氏子がかわゆうてなられぬのぞ。(■ 理3・尋求教語録・3)
この神様の御心がわかる信心にお育てをいただいてまいりたいものと思います。