親の背 神の背

本日は春季霊神祭ならびに三代教会長髙阪松太郎先生三年祭に共々お引き寄せを賜りまことに有難いことでございます。

横手に掲示しておりますのは、父の帰幽からこんにち、そして今後の足取りを一覧表にしたものですが、令和4年の5月19日に先代が、翌年に岺子先生がお隠れになり、ご承知のように奇しき神はからいのなかでその告別式と先代教会長の一年祭を同日に仕えることとなり、昨年には春に岺子先生の一年祭、秋に二代教会長夫人髙阪春の五十年祭を仕えたと思ったら、今年ではやくも先代教会長の三年祭、来年には岺子先生の三年祭、そして再来年は当教会の開教120年という節目の年でありますが、合わせて先代教会長の五年、そして二代教会長五十年というひときわ節の太い節年となることがひとめでご覧いただけるかと思います。あまりに整いすぎていてこわくなるくらいなのですが、あたかも、松太郎先生と岺子先生、二代教会長夫妻、歴代のおみたまさまが、私たちと一緒に開教120年への歩を進めてくだされてあるように思われてなりません。

ご信徒のなかには松太郎先生や岺子先生の夢をみましたということも何人かありました。家族たちにも夢に出て来たことがあったようです。私だけそれがなかったのですが、一度だけ、父の夢をみました。けれどもそれが他の方の夢に出てきたような、にこやかにほほ笑んだ姿ではなく、あまりパッとしない夢だったのです。うちの子の誰かが病気になって病院に来ている夢なのですが、治療が済んでお会計というときに「あれ、お金が足りない」ということになり、急いで外へ出ると私が向かったのはどこかの大きな会館で、そこでは教会の先生方の研修会が開かれていていることを、私はなぜか知っていて、無作法にも私は会場に入るなり最前列に座っている父のところへ、それも探すまでもなく知っていて、着くなり「すまんけど、お金かしてもらえんやろか」と頼みますと、父はなんともいえない表情をして、ポケットから徐に財布を取り出し、かなりの額でしたが、渡してくれました。「ごめんさない。ありがとう」と言って会場を出たところで目が覚めたのですね。「あぁ夢だったのか」とホッとしたのですが、なにかいまだに心配をかけているような居心地の悪さを感じてしまいました。夢の中での借金ですから返さなくてもよいのですが、借りた引け目のようなものは、はっきりと心に残っているのですね。

このように一覧表にしてみたら、あらためて、松太郎先生と岺子先生がそんな私を気にかけて、代わる代わる順番に私たちの様子を見に来ては、一緒に御用をしてくださっているような気がしてならないのです。

「親の背を見て子は育つ」とことわざにあります。「子は親を映す鏡」とも申しますから、自分の言動に気を付けるようにというような意味として、これまでは思っておりました。みなさんはどうでしょうか。

ただ、二、三日前のことですが、これはそういうことではないんじゃないかと思ったのです。

私も親になって三十年が過ぎたところですが、あまりよい背中をみせているとは思えないのですね。でもね、子に俺の背中をみせてやるんだと、これみよがしに見せようたって、子は振り向いてはくれないものです。子が見るのであっても、親の方から見せる物ではないような気がするのですね。いろいろ問題を待ちこんでくるのが子の役目のようなものです。夢の中の私のようなもので、夢の中ですが痛い出費だったと思うのです。でもそんな痛い腹の内を私には決して見せなかった。どうしたんだろう、何があったのだろう、とわが子を案ずる苦しい胸の内を私にみせなかった。

「親の背を見て子は育つ」それは次々に問題を持ち込んでくる私に、痛い腹の内や心配で苦しい胸の内を、決してみせることなく、心を神様のほうへ向けて祈っていてくれたから、私には背中しか見えなかっただけなのだというのが、本当のところだったんじゃないだろうかと思ったのです。

子を授かり、そしてその子がまもなく親になろうとしている今になってようやく、そのことが分かり始めたようなことであります。

そうした中で迎えた春季霊神祭、父、三代教会長松太郎先生の三年祭。ここからもずっと、ご霊神さまとなられても、私にはその背しかみえないのだろうと思います。それは天地の親神さまについてもそうだろうと思います。

父があるとき胸の中に聞いたという「神の苦労を知っておるか」という神様のお声。それは神様がそう言ったというより、人間の助かりを思ってやまない神の背を、父が一瞬垣間見た、そのとき、いうに言えない神の背が語った言葉だったのかもしれません。その声を追いながら、神様の背を見ながら、私たちもここから共に歩ませていただきたいと思うのです。

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