人代から神代へ
この世の仕組み
この地球という星の地軸は23.4°傾き、太陽の周りを1700㎞/hの速さで公転しているといわれています。けれどもそのことが私たちには実感できません。世界は平らかで誰もが等しい。誰もがそう感じているはずです。なのに、現実は格差や貧困があり、何かに追われ、生きているのが辛い。そんな思いを抱えている人があまりにも多いのはなぜでしょうか。思いあぐねる私のなかである疑念が頭を擡げました。
「地球よりこの世界こそが傾いているのでは?」
ここに丸いお盆があると想像してみましょう。
そのお盆にはドングリの実がいっぱいあります。お盆はこの世界、ドングリは富、そして、そこで暮らすリスのような小動物は私たちです。もし世界が平らかであれば、ドングリは満遍なく行きわたり、奪い合うことなく分かちあえるはずです。しかし、お盆が傾けられ、かつ超高速で回転しているとしたら、どうなるでしょう。傾きに従って流れていくドングリを追い求めて、リスたちはお盆の上で一生駆け回らなければなりません。もし、少しでもそのことを疑問に感じたり、疲れて走るのをやめたりしたら、その凄まじい遠心力がリスたちをお盆の外へ弾き飛ばすか、倒れて踏みつけにされるかのどちらかです。
悲しいことに、リスたちにはその傾きが知覚できません。ずっとそこにいてそれがあたりまえだと思ってきたからです。
しかも、その傾きは時によって向きを変えるのです。そこでは力の強いものが弱いものを押しのけていきます。抜け目ない者は次にくる傾きを予想して儲けようと企み、あるいは他を騙してドングリのないところに行かせ、その間に横取りを画策したりするでしょう。仮にリスたちの一部に軸をどちらに傾けるか決められる特権を与えたら、他のリスたちを働かせて、ドングリを労せずして得られる、自分たちだけ有利な世界を造ろうとするかもしれません。
誰もがこの世の軸が正しいと信じて、物がすべて、お金がすべてと、形あるものを幾らかき集めても、結局そこには何も心を満たすものがなく、虚しさを感じるのは、この傾きが虚構だからです。
一見確かな幸せがそこにあるようにみえるけれども、掴んでみれば実体がないのです。
一方、とてもあるようには見えないのに、ふれるだけでなぜか安心する世界があります。それが宗教といわれるものです。
それでも、この世界の傾きに慣れてしまった目には、本来の神と人との軸で生きようとしている人たちが、一風変わって見えることでしょう。
神を信じようが信じまいが、生きるのはこの世界です。けれどもこの確かな軸があることを知り、それさえ離さなければ、たとえ走れなくても外の世界へ弾き飛ばされることもなく、傍で倒れている人をみれば手を差し伸べて助けることだってできるのです。
私自身、そういう人に出会い、そうやって助けられてきたから、そのことが解るのです。
その目には見えない軸を示したものが「道」「教え」と呼ばれるものです。
人代から神代へ
「今の世は知恵の世、人間がさかしいばかりで、わが身の徳を失うておる」
「今は人代と言って、わが力で何事もしている。神が知らせてやることにそむく者がある。神の教えどおりにする者は神になる。昔は神代といい、今は人代である。神代になるように教えてやる。難儀になるのもわが心、安心になるのもわが心からである」
「天地の道がつぶれている。道を開き、苦しんでいる人々が助かることを教えよ」
「人間がおかげ(神の助け、恩恵)を受けないで苦しんでいるようでは神の役目が立たない」
道の創始者 金光大神 の伝える天地金乃神の御言です。
金光教の信仰は、人々の願い、悩み、苦しみを聴き取って神様に祈り、一人ひとりに神様と人間との関わりを教え、信心で助かる道を諭す「取次」がその活動の中心です。私は、傾いた人代を天地の軸に戻し、人間が真の人間らしさを取り戻す力は、政治や争いにではなく、私たち個々のめざめにあると信じて、日々お取次をさせていただいています。