一語万金

一語万金

春爛漫と言いたいところですが、このところ世界中が山火事だらけで火の海みたいになってきております。そして物価高、今日から四千品目が値上がりということで、家計は火の車、なんとも大変な世の中になりつつあります。世界経済が不透明になるにつれて金(ゴールド)の価格が上昇します。聞いた話では、天皇在位60年記念10万円硬貨が「買取大吉」で28万円になるそうです。などと聞くとお家へ帰って箪笥の中になんか無かったかなと、気もそぞろになられるかもしれませんが、とかく人の欲には限りがありません。投資詐欺にロマンス詐欺、特殊詐欺も次々に新手の手口が出てきますからみなさんほんとに気を付けてください。

とかく濡れ手に粟とか、一攫千金のような話は世間にごろごろ転がっています。

でもね、一攫千金といっても所詮は「千金」です。

実はもっといい話があるのです。

どこにか?それはお広前です。

万代光造(まんだいみつぞう)という方が教祖様の御言を伝えておられます。

「広前でひそひそ話をするな。一語万金」

古い話ですが、昔、プロ野球に鶴岡一人という名監督がいて「グランドには銭が落ちている」と言っていたそうですね。野球で稼ぐには試合に出て、すばらしいパフォーマンスを披露して、チームを勝利に導く…そのひとことで選手の心をつかんだことでしょう。

金光様のお広前にはお金は落ちていませんが、おかげはたくさん拾って帰れる場所だと思います。それは千金どころか万金にも値する。御結界でなんぼう汚い心の中を吐き出してもええのですが、またその吐き出したものを拾って帰ることのないようにせねばなりません。そして、神様に持っていく前に「ひそひそ話」や「世間話」に夢中になって、神様にお古をもって行くことのないように、お互いは、神様との時間を尊重し合う間柄であれるよう弁えねばなりません。

前回の月例祭でお話ししましたけど、口が軽いとおかげを落としますのでね。

「人には言うが、神に頼むのが遅れる。何事でも神様に頼むようにしなければいけない」

一語万金 たった一言が万金の価値を生み出すのですから、ご信心いたしておりますお互いは言葉を大切に、仇口無駄口は慎みたいものです。

人から褒められたこと、苦しい時に救われたことば、どれもみな良い言葉だったはずです。

そのような良い知恵、よいことばを、親から子へ、子からまた子へとつないでいく。

学校にやるのには多大な金が要りますが、知恵はタダです。信心を手渡すのにお金はかからないのですね。その「万金の一語」を子や孫たちに残してやるのは、ほんとうに大切だと思います。

昨年はこどもの自殺が増えたと言います。子どもがどうやって産まれてくるか。娘がいま臨月ですが、母親がお腹を撫でさすり、語り掛け、愛おしみを受けてこの世に生まれくる、その姿はほんとうに尊いものです。私もみなさんも、誰もがそのようにして産まれてきたのですね。お腹のなかにいるときから、母はあんなふうに私と会う日を楽しみに待っていてくれたんだなぁと思うと、最初はかわいかったでしょうが、大きくなって憎たらしいことを言ったり、心配させたり、ほんとうに悪かったなぁと思います。ですからその姿をみていると、そんな悲しいことはあってはならんと強く思うのです。以前、あるこどもが命を絶ったときの遺書というのをなにかで読み、ショックを受けたことがあります。「○○買ってくれてありがとう。△△買ってくれてありがとう」と、そういうことしか書かれていなかったのです。なんか胸が苦しくなりました。その親御さんは、子どもが欲しいものを幾らでも買ってやれる千金は持っていたかもしれない。でも、子どもが人生の試練にある苦しいときに、思い出し、光となるたった一語、万金が、そこには無かったということではないだろうかと。それはただその人たちが不幸であったということではなく「人間がおかげ(神の助け、恩恵)を受けないで苦しんでいるようでは神の役目が立たない」という神様の願いを、私どもが生かし切れていない、そこまで力が及ばなかったということでもあるのです。

金は重たくて持ち運びはたいへんですが、金言はずっしりと響けど軽やかです。それは私たちの心の中、おかげは和賀心にあり。なのです。時に深い闇、暗いトンネルに落ちることもありますが、それはその万金を掘っていく過程なのです。そこらに転がっているものではないのは確かです。だからこそ価値があります。みなさんお一人おひとりにいま与えられている問題は、みなその金山なのですから、そこにおかげが落ちていると思って、拝んで、お礼の心をわすれずに、信心をしてまいりましょう。

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