あなたの心はおかげの白飛び・黒潰しを起こしていませんか?
かれこれ10年ちょい前のこと。連合会行事の記録撮影に携わってくれたプロカメラマンのT氏を彼のスタジオに訪ねたことがある。編集の合間にカメラについての豊富な知識を次々に披歴してくれた。そのときは理解が追い付かぬほどだったが、後になって、聞いておいてよかったと思うこととなった。
いまではスマホで撮影があたりまえになり、デジカメを単体で持つ人は少なくなったが、当時は各社がその性能で競っていた。なかでも「画素数」は目玉でした。出た当初は500万画素くらいだったのが、当時は2000万画素くらいはあたりまえになっていたかと思う。
けれどもT氏は「画素数が大きければよいカメラというものじゃないんです」それよりもバランスだと。そしていくつかの撮影した写真をみせてくれた。志摩スペイン村の美しい光景だった。とても表現力豊かな写真だったが、それを撮ったカメラの画素数は意外にもそれほど高いというわけではなかった。どういうこと?と質問した。専門用語の連発でチンプンカンプンだったが、後でいろいろ自分なりに調べてみると、これが人間の心とあまりにも似ていることに気づかされた。
撮像素子=感受性
撮像素子とは、光を受け取り、画像に変換するカメラの核心部分のことです。人間の心が外界の刺激や感情を微細に受けとめる「感受性」にたとえられます。その感度が高いほど、微弱な光も捉えることができます。
そして画素数というのは、記憶や観察の“量”のようなものでしょう。
たとえば、この教会の広前ほどの空間に、50人が並んだ状態と、100人詰め込んだ場合を想像してみてください。屋根を開けて上から覗くとします。どちらがその一人一人の表情、着ているもの、体型、靴の色まで細やかに観察できるでしょうか。そうですね、100人もいると頭と肩くらいしかみえなくなります。デジカメはより小型薄型化していましたが、こう考えると詰め込めばよいというものではなさそうですね。
T氏がみせてくれた2枚の写真は地元伊勢志摩のスペイン村の光景を同じ場所で撮ったものだったと記憶してます。その違いは、諧調・ダイナミックレンジにありました。諧調(トーン)は明るさの幅、つまり極端な明暗(白飛び・黒潰し)を抑え、中間調(グレー)も豊かに表現できる能力です。心の世界にたとえれば、「喜び・悲しみ・驚き」といったさまざまな感情を曖昧でも感じ取り、柔軟に反応する心の幅のようなものですね。
写真を撮ったことがある人なら、誰でも白飛び・黒潰しの失敗があったと思います。白飛びは、明るすぎて、真っ白に抜けてしまう状態です。黒潰しは、暗部が完全に黒くつぶれ、細かいディテールが消えてしまう現象です。
白飛びは、「恵まれているのに気づけない」すでにあるにもかかわらず、それを“当たり前”として無視してしまう状態によく似ています。心の露出がなくなっているのです。
黒潰しは、悲しみや不安が強すぎて、それ以外の感情(希望・可能性)を認識できなくなっている、視野狭窄みたいな状態かと思います。
心の露出を調整する必要があるようですね。それがまさしく信心の稽古です。
そのためのポイントは三つあります。
【感受性を高める稽古】
内なる感情、日々の出来事の“トーン”を丁寧に受けとめる心の稽古。
それを「和賀心センサー」と呼んでみます。
【おかげを知る稽古】
白飛び防止策です。たとえば「今日ありがたかったこと」とかを日記につけるとか、小さな幸せに意識を向ける稽古をすると、みえていなかった良さや支えてくれているものに気づけるようになります。
【ネガティブを受容する】
黒潰し防止策です。いちばん手っ取り早いのは、教会でお取次をいただき、先生にきいてもらいましょう。お取次はその苦しみに光をあててくれます。堪えていた感情を“露出”して、泣いても怒ってもいいんです。神様はなんでも受け入れてくれます。お取次は必ず心を軽くしてくれます。
世間には「白黒はっきりさせないことには気が済まない」タイプの人もいます。けれどもその心の写真は諧調豊かな微妙な美しさを欠いてしまうのです。これまでの良かったことも、白飛びしてみえなくなり、また、暗い中にもあかるい話題やよろこべることがあるのに、黒潰しになってみえなくなっているのです。そういう心にしあわせなイメージが映し出されるでしょうか。白~黒の間の“グレー”、グラデーションを感じ取れると、人生の景色がもっと豊かになります。心に映ったものが投影された世界、それが自分にとっての現実だからです。
しあわせになるのもわが心、難儀になるのもわが心からのことだと教祖様は教えてくださっています。
金光教の教える和賀心はもじどおり「和らぎ賀する心」です。よろこび、祝い、言祝ぐ心です。豊かさとは、豊かな心で生きることです。恵まれていても喜びが無ければ、持たざることと同じです。
