しあわせを生きよう
(令和7年 生神金光大神大祭教話)
おめでとうございます。令和7年 伊勢教会開教118年の生神金光大神大祭をお仕えしております。
御承知のように、再来年、令和9年が伊勢教会開教120年。その10月17日に記念祭をお仕えする予定であります。九州地方などでは5年ごとに記念祭をお仕えさせる教会も多くありますが、ここでは10年ごとに記念の節年として、特に願いを込めてお仕えしてきているようなことであります。ただ、それも一年一年の積み重ねなのであります。
先日、知人の落語家さんから独演会のご案内をいただいたんです。8年前開教110年のときに記念落語会を開催させていただいたご縁もあり、皆さまにもお馴染みですが、「芸歴31年記念独演会」とありました。昨年も30年記念独演会のご案内をいただいていたなぁと思いながら、
「おめでとうございます。毎年が記念祭みたいですね!」と返信したら、
「ありがとうございます。そうですね!本当に毎年新たな気持ちです」と返ってきました。
考えてみれば、厳しい芸の世界。一年一年が、いや一公演ひと舞台毎日が勝負なのですよね。
そういう意味で教会も同じだと思いました。今年は開教118年ですが、この118年も二度とないのです。お一人おひとりがおかげをいただき、助かり、真の信心、真のおかげへとお導きができていかなければ、一日いちにち、一年一年を大事にしていかなければ、120年なんてほんとに迎えられるのかどうかすらわからないことなのだ、今現在教会が置かれた状況はそのくらい厳しいと思います。
さて、本日は、しあわせを生きよう と題してお話をさせていただこうと思うのです。
このことばに辿り着いたのは、父があるとき言ったひとからです。
父はあるとき
「『信心すれば必ず幸せになる』というのは、ちょっと誇大広告だなぁ」
と言いました。
当時の私は、それを聞いて「え?」と思いました。信心したら幸せになる――そう信じていた自分には、どこか夢を壊されるような気もしたからです。でも今になって思うのは、父は決して信心を軽く見ていたわけではなく、「幸せになるために信心する」のではなく、「幸せであるために信心が必要」だと言いたかったのかなと思うのです。
信心をしていれば、おかげをいただくこともあれば、思うようにいかないこともあります。
うまくいかないとき、つい「何でこんなことに」「神様は助けてくださらないのか」と思ってしまう。
そういう時、信心が止まりかけることがありますね。
けれど、「結果を願う信心」から「原因を生きる信心」に切り替わるとき、そこに神様のお働きが見えてくるように思います。
《信心の目的が「結果」になっていないか》
人はだれしも「こうなりたい」「こうあってほしい」と願います。
信心もその延長で、「こうなればおかげをいただいた」「ならなければまだおかげがない」と考えてしまいがちです。
でも、そういう信心では、思うようにいかないときに止まってしまいます。
「なんでおかげをもらえないのか」と嘆いて、神様を遠ざけてしまうのです。
信心は“取引”ではなく、“つながり”です。
「神様にお願いする」というよりも、「神様とともに生きる」ことです。
今日は、そのことを私自身があらためて感じさせてもらった、出来事をお話しさせていただきたいと思います。
Hさんは、小学二年から大学三年まで、十三年ほど書道を続けてきました。
中学時代は吹奏楽に打ち込み、高校時代はダンス部でアクティブな印象。でも、いちばん長く続けているのが書道。意外と言えば意外でしたが、書く時の集中力はみていても凄みを感じることもあります。
そんなHさんですが、先生にも恵まれ、全国展で賞をいただいたり、ボランティアやパフォーマンスにも参加させていただいたりと、ありがたい日々を送っておりました。
随分と目をかけてくださっていたのですが、けれどあるときから、先生の言葉や態度が少しずつ変わっていきます。書道の上の自分への厳しい叱責ならよいのです。けれども他のお弟子さんや他人への批判が続くようになりました。Hさんは戸惑い、疲れ果て、信じてきたものまで揺らぐような気持ちになったそうです。
当初はそれは先生の期待の表れなのじゃないかとか、芸術家って変わっているからなぁくらいに思っていたのですが、詳しくは申せませんが、段々と事情がわかってまいりました。彼女に限ったことではなく、聞けばこれまで何人ものお弟子さんが教室を去ってしまっているのです。
「大好きな書道をやめたくない。でも、どうしたらいいかわからない」。
というHさんの心の叫びに、私はこう言いました。
「先生の心が助かるようにお願いさせてもらいましょう」
けれどHさんの心の底では反発があったようです。
「なんで私が、あんな人のためにお願いしなきゃいけないの」と。
神様にすがりたい気持ちと、怒りとが混ざり合って、心が真っ黒だったといいます。
実は一、二度、同じ理由から教室としばらく距離を置いていた時期があります。
ですが、「やっぱり書きたい。書道が好きだ」と思いから戻っているのです。
そんなこともあって、単なるわがままとか、辛抱がたりないということではないなぁとこちらとしても思うようになりました。
Hさんは少しずつ、「神様、先生の心が助かりますように」と唱えられるようになっていかれました。
み教えの中に「信心する人は、わがことより他人のことを先に願え。そうすれば他人も助かり、わが身にもおかげがたくさんある」とありますが、その教えがHさんの背中を押したようです。
やがてHさんは、その教室を去る決断をしました。
残念ながら円満に終えられたわけではありません。でも、その時、不思議なくらいとても静かで落ち着いていて、これまでの黒い心はすっと消えて、「先生が元気でありますように」と心から思えたというのです。
それは、自分の力ではとてもできないことで、「ああ、これは神様が心を助けてくださったんだ」と思ったと話してくれました。
辞めてから振り返ると、あの出来事もこれも、すべておかげだったと思えるようになったと言います。目に見えるおかげだけでなく、見えないおかげの方がずっと多い。書道を続けられたことも、支えてくれた人々も、健康も、道具も、すべてが神様のお働きの中にあったのだと気づかせていただいた――そう語ってくれました。
「信心すれば幸せになる」のではなく、「信心があるから幸せを見つけられる」。たとえ願いがその通りに叶わなくても、信心があれば心が助かる。そういう時、人はすでに“幸せを生きている”のだと思います。
生きていれば、どうしようもないこともたくさんあります。でも、神様はそれを通して「何を気づかせようとしておられるのか」と心を向けるとき、出来事の中におかげを見いだすことができます。そしてその心の姿こそ、「幸せを生きる」ということなのだと思います。
「信心すれば幸せになる」ではなく、「幸せであるために信心が必要」なだけです。
《信心の目的は原因である》
父が「『信心すれば必ず幸せになる』というのは、ちょっと誇大広告だなぁ」と言っていたのは、もうひとつ理由があったと思います。
なぜ誇大広告かというと、それが原因より結果のほうに人の心を向けさせてしまうからなんですね。
父が大切にしていたことばの一つに「因分可説、果分不可説(いんぶんかせつ、かぶんふかせつ)」という言葉があります。
伝教大師 最澄のことばといわれます。父はそれを尊敬していた先輩の先生からなんども教わったというのです。
これは、「原因の側からは説くことができるが、結果の側からは説くことはできない」という意味です。
つまり、「こうすればこうなる」という因の道理は語ることができるけれど、
「こうなったのはこういうせいだ」と結果から人を断じることはできない、という教えです。
たとえば「諸悪莫作(しょあくまくさ)――悪をなすなかれ」という言葉があります。
悪いことをすれば悪い結果になる。だから悪を作すな。
これは因の側からの正しい導きです。
けれども、起こった結果を見て「あれは報いだ」「信心が足りなかったからだ」と言うのは、
果の側から人をさばくことであり、「果分不可説」に背くことになります。
親しくしていただいている九州のある教会の先生から、こんな話を聞いたことがあります。
今になって思うと、これはまさしく因分可説、果分不可説のお話だったのです。
その先生の義理の弟さんが、ある日、交通事故を起こされました。
車で歩行者をはね、その方は亡くなられたのです。
けれども警察の調べでは、義弟さんに過失はありませんでした。
青信号で進んでいて、歩行者の方が赤信号で渡ってこられたのです。
それでも、人の命が失われたという現実の重みは変わりません。
義弟さんには身寄りがなく、その先生が親代わりとして葬儀に付き添いました。
会場では冷たい視線が向けられ、まさに針の筵(むしろ)のような思いだったそうです。
申し訳なさ、恐れ、悲しみ――言葉にならない思いで、ただ頭を垂れるしかなかったといいます。
ところが、その葬儀でお坊様が静かに、こんなことをお話しされたそうです。
「人には、絶対にやってはならないことが三つある」
そして、「信号を守らないということは、その最たるものです」
まさかと思う意外なお話でした。驚きとともに、その言葉で救われたそうです。
いうまでもなく、そのお葬式は事故で亡くなられた方のお葬式。ご遺族に呼ばれてそのお坊様はお経をあげにこられたのですよね。私がそのお坊さんの立場だったら、そんなこと言えたでしょうか、わかりません。ただ、そのお坊様は偉いなと思いました。
それは、亡くなられた方を責める言葉ではありません。
むしろ、「人はみな、道を守りながら生きていくことが大切だ」という、
因の道理を静かに示されたのです。
同時に、その先生や義弟さんの自分を責めつづけていた心を、
少しだけゆるませてくれる言葉となりました。
遺族の方も、その意外な言葉を神妙な面持ちで聴いておられたそうです。
お坊様のお話が、「誰をも責めず、みなを包む言葉」であったからでしょう。
初めて聞いたときは気づかなかったのですが、これはまさに「因分可説 果分不可説」の教えそのものであったと思います。
この世に起こることは、どれひとつとして、
たった一つの原因から生まれるものではありません。
多くの縁が重なり合い、そこに神さまのおはからいが働いています。
ですから、誰かを責めて済むことではなく、
誰か一人が背負えばよいことでもないのです。
亡くなられた方のみたまにも、
相手を責めずにいのちの尊さを思い直すおかげがあり、
遺族の方にも、心の痛みの中で人をゆるす力が与えられ、
そして義弟さんにも、「これからの生き方を正していこう」という気づきが授けられた。
そう思うと、そこにこそ神さまの大きなおはからいがあると感じます。
お坊さんばかり褒めましたが、そういう展開が生まれてくるというところには、その先生のふだんの在り方や、ご信心のお徳というものが関わっていることでしょう。
「因分可説 果分不可説」――
この教えは、人を責めるためではなく、
自らを正し、人を生かすための道しるべです。
「なぜこうなったのか」と果を問うより、
「これを通して自分はどう生きるべきか」と因を尋ねる。
そのとき、悲しみの中にもおかげが生まれ、
責め合う心の中にも、助け合う光が差してまいります。
神さまの御心は、いつも「みなに助かりこそあれ」。
誰も責められず、誰も取り残されない道の上に、
私たちは生かされているのだと思います。
「『信心すれば必ず幸せになる』というのは、誇大な広告
「しあわせであるために、信心が必要」
これこそは真実の広告であろうと思います。
信心すれば思ったようなおかげがあると考えると、神様の思し召しはわからないのに、思うようにならないと信心がとまってしまう。それは自分の信心より結果を先にみているからです。
「しあわせであるために信心が必要」
信心には、三つ大切なものがあるとある先師が述べておられます。
それは、
「どうでもこれでやらねばならぬ」
という必要性。
そして、
「どうでもこれでやらせてください」
という願い。
さらに、
「どうでもこれでやりぬいていこう」
という覚悟、決意。
行き詰ると人は、「どうしたらいいんだろう」と方法にばかり目が行くものですが、
そのまえに、
「何をしてもやっていけるあなたになることが先」だというのです。
私がしあわせであるために、どうでも、信心が必要。
英語で言えば、NO FAITH NO LIFE
普通に訳すと信仰がなければ、生きる意味がない。
「信心なければ世界が闇」お道の言葉で訳せばこうなるでしょう。
しあわせであるために信心が必要。
その必要性こそがカギです。
そうであれば、たとえ思うようにならなくても、
「これはまだ自分の信心が足りないからだ」
と素直に思えるのです。
そして信心が再び動き始めるのです。
「ご恩を知り ご恩に報いる」
うしろのパネルに書かれている言葉です。
ご恩というのは説くのが難しいのですけど、ある先生がこんなふうに見事に教えてくださっています。
「ご恩は自分が着るもので、人に着せるものではない。むりやり返してもらおうとすると、裏返しになって恨まれます」
――ほんとに、その通りだと思います。
人はつい「報われたい」とばかり願ってしまいます。けれど、実はもうとっくに報われているのかもしれません。
朝、目が覚めて息ができること。
家族や友人の笑顔にふれること。
苦しい中にも支えてくれる人がいること。
その一つひとつが、ご恩のあらわれではないでしょうか。
「ご恩を知り、ご恩に報いる」と教えられていますが、それを人が口にすると、どこか押しつけがましく響くこともあります。
それよりもまず、自分自身がすでにご恩の中に生かされ、すでに報われていることに気づく――そこから真の信心、真のおかげの世界が始まるのです。
ご清聴ありがとうございました。
※個人のプライバシーに配慮して一部内容を改めて掲載しております。
