みおしえ掛け算
(公式LINEの配信教話より)
今日、教会の玄関の日めくりにこう書かれていました。
「信心する者は、第一に自分がしてみせてから、言い聞かさねばならない。口ばかりでは誰も聞かないし、神にも相すまない。」
ご祈念のあとに奉読する『天地は語る』は、今日は第322話でした。
「子の頭をたたくより、自分の頭をたたけば、すぐおかげになる」
というみ教えでした。
二つは一見つながりのないみ教えですが、食べ物に食べ合わせの良し悪しがあるように、み教えにも相性があります。
ひとつだけではピンと来なくても、二つを合わせることで、立体的に浮かび上がってくることがあるのです。
それは、わたしだけの“オーダーメイドの神様”がご誕生される瞬間でもあります。
さて、最初のみ教え。
「信心する者は、第一に自分がしてみせてから、言い聞かさねばならない。」
たとえば、家族が不機嫌そうにしていると、つい「そんな顔してたらおかげも逃げるよ」と言ってしまいたくなります。
でも、たいてい相手は黙り込んでしまい、かえって空気が重くなってしまいます。
そこで、もうひとつのみ教えを重ねてみましょう。
「子の頭をたたくより、自分の頭をたたけば、すぐおかげになる。」
考えてみれば、相手がそう思うのも無理はありません。
こちらだって忙しさの中で、不満を口にしていたかもしれない。
人に言う前に、自分がまずおかげを喜ぶ姿を見せねばならない。
そんな気づきが、おぼろげに浮かんでくるのです。
相手は子どもに限りません。人間関係すべてに通じるみ教えです。
信心を言葉で伝えることは、いつでもどこでも飲めるカップスープのようなもの。
それをそのまま渡しても、相手には味が伝わりません。
信心を伝えるには、日々の姿で。そのみ教えに温かいお湯を注ぐことです。
温もりが戻って、相手の心も温まるのです。
信心は、説くことよりも、まず自分が実践してみせること。
そうでなければ、せっかくの美味しいスープを冷ましてしまう。
それが「神にも相すまない」ということなのでしょう。
神様がもっとも喜ばれる真心とは、人に教える前に、自ら正しく行おうとする心のことかもしれません。
お家にいくつかのみ教えカレンダーや日めくりがあると、
このように“掛け算”して味わう楽しみ方ができます。ぜひやってみてください。
子どもも、後輩も、みんな、私たちの「姿」を見ています。
さて、今日(2025年10月25日)は市長選挙と市議会議員選挙の投票前日です。
この配信のための録音中も何度か「最後のお願い」の選挙カーが通りました。
選挙もその人が「何を言ってきたか」より「何をやってきたか」で投票されるもの。
どんなに立派なことを口で言っても、行いが伴わなければ心には届きません。
信心する者は、笑顔でいること、何ごとにもお礼を言うこと、
困っている人にそっと手を差し伸べること――
それが、信心を伝える最も力のある説法になるのだと思います。
まず、自分がしてみせる信心を心がけていきたいと思います。
