心のコンセント
人間はみな、生まれる時に約束(やくそく)をしてきているのである。だから、家族が一人よりは二人、二人よりは三人、三人よりは五人と大勢いるほど、家庭の中にさまざまな難儀(なんぎ)がある。幸いに信心をしていると、それを除いていただけるが、生まれたときの約束であるから、またこういうことが起きたというようなことが出てくるかも知れない。その時に、これほど信心するのに、なぜこういうことが出てくるのだろうかと思えば、もう信心はとまっている。これはまだ私の信心が足らないのだと思い、これはどこまでも私の勤めるべき役であると思って、信心をしていかなければならない。そこからおかげがいただける。
みなさんはこのような経験をしたことはありませんか?
機械が壊れた!スイッチを押しても電源が入らない!
コールセンターに電話すると「それでは一度コンセントを抜いて挿し直してみてください」と指示されて見たら、あれ?コンセントが抜けている!なんてことが。
実際、クレームの6割はそれで解消するらしいのです。
でも、なぜ最初から「コンセントが外れていませんか?」と言わないのかというと、そう言うと馬鹿にされているように感じて怒るお客がいるからなんだと。
「それはあんたの信心が足らんからや」
というと「これほど信心しているのに」と怒って帰られてしまったという話は教会あるあるですので、ここは私もその知恵をお借りして言い方を改めねばならないなぁと思いました。
「それではいっぺん信心やめてみて、もういっぺんやりなおしてみて」と。
なにかうまくいかんなぁ…そういうときは、信心がとまって神様とつながる心のコンセントが抜けていないかどうか、確かめてみるときなのでしょうね。