大切にしなくてはいけないことがある
「マヨネーズの瓶と2杯のコーヒー」として知られるある哲学教授の講義。
大きな空のマヨネーズ瓶をもって教壇にたった教授は瓶をゴルフボールで満杯にして「これで満杯か」と学生に尋ねる。皆が頷くと次に小石を入れる。ボールの隙間に小石は注がれる。そして再度「これで満杯か」と問い、学生たちがそうだというと今度はそこに砂を入れる。小石の隙間に砂が流れ込む。「これで満杯かな」教授の問いに皆が「はい」と答えるとテーブルの下から2杯のコーヒーを出し砂の中に流し込んだ。学生たちがさすがに笑い出すと教授は学生たちにこう語りかける。
「さて、いまのはあなたの人生を表しています。ゴルフボールはあなたの家族や健康、情熱といった重要なもの。小石はあなたの仕事や家や車レベルの重要なものを指す。砂は他の小さなことだ。もし最初に砂で瓶をいっぱいにしてしまったら小石やボールを入れるスペースがなくなってしまう。小さなことに全ての時間やエネルギーを費やしてしまったら重要なものを手にすることはできなくなる。優先事項を決めるのです」と。
するとひとりの学生が質問をした。
「それではコーヒーは何を表しているのですか」
教授は満面の笑みで「よくぞ聞いてくれた。これは、あなたの人生がいくら手一杯に見えたとしても、友人と一緒にコーヒーを飲む余裕くらいはいつだってあるということだ」と答えたという話です。
とても興味深いお話です。この話にあなたは何を感じたでしょうか。私は、心配で心がいっぱいになってしまうと神様のおかげを入れるところがなくなってしまうという教祖の教えが頭に浮かびました。ならばそのゴルフボールとは神様のことだろうと思い、最初はそういう話でまとめるつもりでした。でもどこかしっくりきませんでした。なぜならお道の教えには物事に大きい小さいはない。何事も隔てなく祈れとあるからです。あれこれ思案してふと気づいたことは、表題のとおり、この話でいちばん重要なことは大きな空のマヨネーズ瓶と2杯のコーヒーだということです。
どんなに忙しくても大切にしなくてはいけないことがある。いくら手一杯だろうとそれくらいの時間はつくれるというところです。
忙しいのでお参りできません…そんな声をよく聞きますが、金光教祖は「みな、忙しいからなかなかお参りができませんと言う。無理に忙しい時に参れと言うのではないが、おかげを受けていれば暇な日という日があるものか。今日は雨が降ったからお参りしよう、今日は休みだからおかげを受けようと、暇をつくって参り、おかげを受けるがよい」と説かれます。どんなに忙しくてもお参りするくらいの時間は必ずあります。
たとえゴルフボールや小石や砂がどれほどあったとしても、それを納める大きな空の瓶がなければ何もかもがこぼれ落ちてしまうでしょう。それらがかたちとなってこそ人は幸せであるのです。空のマヨネーズ瓶それは大切なものをおさめる心です。そこに神のおかげをおかげとわかる心がなければ、何を入れても満たされはしないのですから。