自分の機嫌
家族中、神のことを忘れるな。何事があっても人に頼ることをするな。良いことも悪いことも、神任せにせよ。心配をするな。世は変わるものである。辛抱せよ。とにかく、内輪はきげんよくせよ。ものの言い方でも、あなたこなたと言うがよい。何事もむだ口を言うな。
(『天地は語る』298)
亡き父、先代先生は、何かと批判を受けたり、ときには食ってかかってくるような人があっても、とりあうことがありませんでした。
後で父に「どうして何も言い返さないのですか?」と尋ねても「あの人はきっと自分との折り合いが悪いのでしょう」と受け流すのです。それは私が父への不満をぶつけるときにも同じでした。要するに父は常に“信心する者は、自分の機嫌くらい自分でとれ”と固く言い聞かせていたのだと、今になって腹に落ちます。
教会を預かる立場にあって、自分の機嫌をとるのは結局は自分しかいないのだと、痛感しています。
だからもし私に機嫌をとってほしいのなら、いくらでも聞いてきてください。しかし、機嫌をとってくれる人がいる限り、信仰を持つことなど絶対に不可能なのだということも、よく覚えておいてください。